国立病院機構 熊本医療センター
企業データ
本社所在地 | 〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸1-5 |
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本社電話番号 | 096-353-6501 |
設立 | 1871年 8月20日 |
診療科目 | 34診療科 【外科系】 外科、頭頸部外科、呼吸器外科、心臓血管外科、脳神経外科、小児外科、整形外科 形成外科、泌尿器科、産婦人科、歯科・口腔外科 【内科系】 総合診療科、内科、腎臓内科、血液内科、腫瘍内科、糖尿病・内分泌内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、脳神経内科、感染症内科 【外科系・内科系以外】 眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、病理診断科、救急科、 麻酔科、放射線治療科、精神科、リウマチ科、小児科、皮膚科 |
病床数 | 550 |
診療時間 | 8:30~11:00 |
病院職員数 | 1300 |
薬剤師数 | 37 |
病棟勤務の有無 | 有 |
院内保育所(または提携保育所)の有無 | 有 |
関連医療機関数 | 140 |
沿革
当院は前身の鎮西兵団病院が創立された明治4年から約150年になります。 『日本陸軍史』によれば、明治維新に活躍し、日本陸軍の創始者と呼ばれた当時の兵部大輔大村益次郎の軍事組織充実計画の骨子に沿って、明治4年全国4カ所に鎮台が設置されましたが、大村の計画の中には鎮台と併せて軍医病院の設置も挙げられており、病院の設置も鎮台設置に併せて行われました。鎮西兵団病院の設置場所は明かではありませんが、当初鎮台のおかれた花畑旧藩邸内ではないかと考えられています。近代的な熊本鎮台病院は、現在の熊本城二の丸に明治9年2月に竣工しています。熊本鎮台病院の設計は、フランス軍事顧問団が関与し、後に建築された名古屋衛戌病院のものとほぼ同じ設計です。幸い名古屋衛戌病院は、愛知県明治村に移築保存されてあり、これを見ることにより熊本鎮台病院を偲ぶことが可能です。この建設竣工明治9年2月は、病院の周囲で激戦のありました神風連の乱(明治9年10月24日)及び、西南の役の熊本城急襲(明治10年2月22日)より早く、これらの争乱時には熊本鎮台病院はすでに存在しており実際にその時、多数の負傷兵の治療を行っていました。熊本鎮台病院は、その後、熊本陸軍病院、熊本衛戌病院、熊本第一陸軍病院と改称、戦後昭和20年12月1日、厚生省に移管され国立熊本病院となり、平成16年4月1日、独立行政法人国立病院機構熊本医療センターとなり現在に至っています。なお、戦災により熊本大学医学部附属病院の木造病棟が全焼しましたので戦前の熊本第一陸軍病院藤崎台分院が、戦後の一時期熊本大学医学部附属病院病棟として使用されました。
アピールポイント
- 2本の柱
- 34の診療科を持ち高度救急救命センターを有する総合病院であり隣は熊本城です。特に救急医療とがん診療を大きな2本の柱として地域医療に貢献しています。
薬剤部は、薬剤師37名、助手3名で構成されています。内服薬、外用薬、注射薬の調剤や抗がん薬・TPNの無菌調製等のセントラル業務を行っています。注射薬の払い出しにはピッキングシステムを導入するなど最新の設備を取り入れています。また、院内での教育研修に加え、各種認定制度の研修施設でもあり、充実した教育・研修システムがあります。
薬剤部見学も随時行っています。ご希望の方や就職について相談したい方は副薬剤部長までご連絡ください。
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