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他社が敬遠することを自社の強みに。戦略的な店舗展開で他社との差別化、効率化の両方を叶える。

調剤薬局キタオカ
代表 北岡悠

本社:三重県 出店エリア:三重県内 店舗数:3店舗
創業:2006年 年商:2億3千万円 従業員:20名(2020年2月現在)

持ち前の商人気質と戦略的な店舗展開で競合も少なく、安定した経営を維持している代表の北岡さん。軌道に乗るまでハードな経験をされたにも関わらず、面白おかしく軽快に話される様子が印象的だった。

とにかく人と接することが好き。

  • 大学ご卒業からのキャリアを教えてください。

    東京大学大学院を出た後、東京の町田市民病院で働きました。研究者になる道もありましたが、どうしても自分の性に合わず……。研究室にいるとOBの人の話を聞く機会もあったのですが、「これは違うな」と思いました。研究は一人か少人数でやることが多かったのですが、人と接することが好きな僕には孤独過ぎましたね。となると、医療の方へ進もうという気持ちになりました。

    “人と接することが好き”という点をずっと掘り下げますと、自分は商売的なことに興味があることに気付きました。ここ三重県伊勢市は地元で、伊勢神宮のすぐ近くで昔、祖父がお店を営んでいました。場所的にも年末年始はお参りに来る人が多く、学生の頃は年末年始の学校の休みのときは、人手の足りないお店をよく手伝いに行っていました。それが勉強よりも楽しかったんです。うどんを運んだり揚げものを揚げたりして、その間に人とコミュニケーションを取ることがただただすごく楽しかった。その記憶が大人になってからもずっとありました。

    ですが、両親は二人とも公務員ですごくカタく、たびたび「あなたは弁護士か医者になりなさい」と言われて育ちました。理科が好きだったので理系の道へ進み、薬学部であれば化学から生物まで広く学ぶことができると思い、ひとまず薬学部へ進学しました。ですが、研究室で自分の将来を思ったのは先ほどお話したとおりです。医療のことはさっぱり分からなかったので、基礎から学ぶ必要があると思い病院へ就職しました。

    その病院では1年半ほど勤め、一から調剤の内容ややり方を習いました。当時はまだ院内処方で、薬をバーッと作り、サッと渡すという感じで、とにかく忙しい環境でした。そういう職場の雰囲気に人間味を感じられず……。ただ、本当に忙し過ぎたので、そこで患者さんと丁寧にコミュニケーションを取ることは不可能でした。また当時薬剤部の副部長に就かせていただいていましたが、このままこの仕事を続けたときの先がもう見えてしまって、それも違うなあと感じてしまいました。

のちの価値観にも繋がる!? 独立までのスリリングな日々。

ちょうどそのタイミングで、学生時代にアルバイトをしていた西新宿の調剤薬局から声が掛かり、病院とはまた雰囲気が違って面白そうだという理由でお世話になることになりました。25、6歳から2、3年間勤めました。
精神科を応需している店舗でしたが、そこにいらっしゃる患者さんの具合が非常に重く。第二公費で薬が処方されるほどの……簡単に言うと、施設を行ったり来たりしているような患者さんでした。患者さんと接するうちに自分まで調子がおかしくなってしまう病院スタッフもいたほどです。特定のドクターに憧れる患者さんはドクターが帰るときに陰で隠れて待っていて、ドクターは毎日タクシーをつけて逃げるように帰路に着いたり、時には患者さんを取り押さえたりすることもありましたね(苦笑)。あと、調剤室はガラス張りで外から調剤している様子が見えるようになっていますが、突然飲み物のビンをそのガラスに投げつけられたことも(笑)。ここだけの話なら笑えるかもしれませんが、毎日のことでしたし患者さんには診察と投薬で必ず会うので、なかなか厳しい環境だったと今になって思います。あそこで患者さんの応対ができるようになれば、どこでもやっていけると思いました。当時は僕も若かったので、その滑稽な風景を楽しんでいた感じはあったのですけど(笑)あれは良い経験でした。そして地元の同級生との結婚を機に、退職して三重に帰ってきました。

  • それが独立のタイミングだったのでしょうか?

    そうですね、仕事も途切れたタイミングだったので、せっかくなので今度は雇う側でやってみようかと思いました。コネもないので病院を一軒ずつ回っているうちに、同窓生で、父親がとある医療系会社の不良債権部にいる友人と出会いました。そこから機会を頂き、一軒の今にも潰れそうな薬局を紹介してもらいました。課題、難題は山積みでしたが、処方元の病院のドクターともきちんと話し合い、この薬局を運営することになったのが弊社の始まりです。

  • 薬局はすぐに立ち直ったのでしょうか?

    いえいえ、大変でしたよ。処方せんの枚数は良かったのですが、そこの元社長がすごく拡大路線だったこともあり従業員数は多く、在庫管理はめちゃくちゃ、家賃も驚くほど高く支払えていない……。土地を貸してくれている人のところへ行って、きちんと支払っていく意志を伝えたうえで賃料の交渉をするところから始めました。薬を卸してくれる会社も当初は一社しかなく、薬価率も100%。悔しくて、いつか見返してやると思いましたね。前の薬局と偶然名前も似ていたので、消費者金融のような人からも取り立てられることも経験しましたし、最初の一ヶ月はドラマみたいでした(笑)

    そこから人員を削減して、準正社員をパートに切り替え、機械を積極的に導入しました。当時まだ珍しかったプリンターや二次元バーコードも入れて、レセプトも全部自分でやりました。そうしていくうちに人を増やせる余裕ができ、そうなると自分が自由に動けるようになって……という感じです。好きだからできましたね、面白かったです。それが15年ほど前の1号店(本店)でのことです。

自社の強みになるポイントを見つけ、他社との差別化を図る。

  • 眼科門前がほとんどですが、眼科を選ばれた理由は何でしょうか?

    病院に勤めていたときは、科目が沢山で一人の処方せん内容がボリューミーでした。患者さんも待つことに疲れていますし、今ほど薬に興味も無い時代だったので、パパッと手早く渡していました。ですがそのうちに、薬の説明も大事だという時流が来ました。そうすると、最後に点眼が出ても、こちらも患者さんも疲れているので、伝えることも用法くらいの一瞬で終わってしまいます。
    僕から見たら、眼科はすごく蔑ろにされています。ですから薬剤師もそこに力を入れておらず、知識がありません。でもそれこそがポイントで、詳しくなれば武器になるのではないかと考えました。
    加えて精神科の薬局に勤めていた経験から、精神科は薬の量がとても多いことは知っていました。当時珍しかった自動一包化の機械が壊れそうな音を立てるくらい(笑)、分包作業やピッキングでいっぱいいっぱい。薬を出すだけで患者一人に30~40分かかることもザラです。そこに掛かる時間と労力は、今もあまり変わらないと思います。患者さんのニーズは「早く薬を貰って早く帰りたい」なので、こちらもそれで薬の説明をしなくていいのであれば、それで良しとなりますよね、当然。楽ですから。
    ですが、眼科の溶剤は、今は工場でだいぶ製剤化されているのでピッキング時間がすごく短くなっています。一回の一包化の調剤に20~30分掛かるところが、うちだとたった1分半~2分程度です。1分半~2分程度で調剤が完了するので、人にもよりますが、きちんと患者さんと話ができる時間を確保することができます。内科や精神科ではそれが現実的に不可能で、こういうことができるのは眼科や皮膚科だと思ったのが大きな理由の一つでした。

    また、眼科は点数が一番低く採算が悪いため、あえてやりたがる人もあまりいませんでした。一科目で、しかもマンツーマンでやろうという人は今でもなかなか居ないと思いますが、言い換えると競争が無かったですね。また眼科は時期によって業務量に波があるので、空いた時間で他でできることが何かあるのではと思い、そこで在宅と施設を応需するようになりました。今では全店舗で行っています。
    志摩市では、世間で在宅療養がまだあまり言われていない頃からやり始めました。三重県は小さい島が沢山あるので、そこへは船に乗って行きます。個人在宅の応需は15、16件くらいでしょうか。波はありますが、楽しいですね。町の人から魚を貰うこともあります(笑)

人財と今後の展望について

  • けっこう人手がかかるのではないでしょうか?

    本店は、今は3名のスタッフ、松阪店もパートさんを入れて4名です。ラウンダーで回っているスタッフもいます。眼科・在宅・施設の3本のバランスはすごく良いと思っています。店舗が空いている時間にきちんと在宅などの準備ができるので、残業もほぼありません。

  • 2店舗目展開までは何年くらいかかったのでしょうか?

    3、4年くらいでしょうか。ですが、店舗規模の展開には一回挫折しています。昔はチャレンジ精神旺盛で、人員が増えていたこともあったので店舗拡大に積極的でした。ですが、僕が3店舗、4店舗を……などと言っている時点で大手調剤薬局はすでに300、400店舗規模でしたので、追いつくにはそこより早いスピード感を持たなければいけませんでした。普通に店舗を買っていく手法では絶対に追いつけないと思いました。ならば方法を変えて、調剤薬局のフランチャイズを考えました。
    フランチャイズであれば他資本を使えるので、買収よりは早く拡大していけるという思いがありましたが……やはり人材は大事ですね。任せられる人に任せていかないといけないのですが、そういう人があまりに我が強くてもいけませんし。僕の技術不足もあったと思いますが、上手にまとめることがとても難しかったです。それに気づいてから、数を展開するよりも中身を強めていこうと思いました。

  • それでは、今後は店舗展開のご予定は無いのでしょうか。

    薬局はM&Aの時代になっているとは思っているので、情報を見てはいます。
    ただ、拡大路線だった頃は辞めるスタッフも多く、従業員にとって職場環境の変化は大きなストレスになることを痛感しました。店舗を充実させることを各店舗が行っているので、こういうときは穏やかに業績も上がっていきます。そういうときは大きな変化はありませんが、人の変動もなく安定しています。

  • 北岡さんのこれからの夢を教えてください。

    ずっと考えているのは、薬を通じて患者さんに満足してもらうことです。これからは薬局と言う形もきっと変わってくると思いますが、綺麗事ではなくて、薬を通してお客様が満足している顔を見たいと思いますね。それはずっと変わりません。

  • 最後に、薬剤師を目指す学生さんへ一言お願いします。

    薬剤師は職業、仕事は人を喜ばすことです。
    弊社に求める人物像は、倫理観と地頭力があり、愛想がある方ですね。何か自分で成し遂げた実績、経験がある人も魅力的です。これらを満たす方で少しでも弊社に興味を持たれた方は、ぜひご連絡ください。

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