楽=サボる、ではなく「工夫して楽しく働く」こと!頂くお話には丁寧に応えるマインドが次の仕事へと繋がる。
株式会社わかば
代表取締役社長 臼井 順信
本社:神奈川県 出店エリア:神奈川県、東京都、埼玉県、千葉県、岐阜県、愛知県 薬局店舗数:42店舗(2020年12月現在)
創業:平成元年 売上高:57億 従業員数:335名(2020年12月現在)
病院薬剤師からキャリアをスタートし、事務長の経験の中で一薬剤師としてだけではなく、経営面で組織存続のノウハウも自力で培ってこられた臼井社長。「楽=工夫」というお話がとても印象的だった。
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臼井社長のご経歴について教えてください。
高校卒業までを静岡の熱川で過ごし、帝京大学薬学部に進学しました。卒業後は横浜旭中央総合病院で病院薬剤師としてキャリアを始めました。
病院を選んだ理由は、営業はやりたくないと思ったからです(笑)。当時はMRはなくプロパーの時代だったので。大きめの病院なら良いか、と。学生時代の実習で、慶応病院で2週間過ごしたことも「病院もなかなか面白いなあ」と感じたきっかけの一つです。正直当時はあまり深く考えていませんでしたね。
できて半年ほどの総合病院だったため当時薬剤師は5名くらいしかおらず、ドタバタでした。まだ院内処方の時代だったので、今思い返せば激務だったかもしれません。でもいろんなことをさせていただきました。注射から内服、疑義照会まで……時代が良かったです。横浜旭中央病院に3年、横浜新都心脳神経外科病院で薬局長として3年など、いくつか病院は変わりながらトータルで10年ほど病院薬剤師として勤務し、その後は事務長を勤めました。
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病院薬剤師のキャリアを歩まれ、事務長をされるというのは珍しいですね。
何も教育も受けてなかったのですが、お世話になった病院の理事長が病院経営のプロだったので、数日間研修していただいた後2年間事務長として勤めました。33歳くらいのときです。
保険請求のことなどもなにも分からずでしたが、分かったのはコミュニケーションの取り方や、病棟、ドクターのことでした。ケアワーカーさんとすごく仲良くさせていただき、何度も病棟を回らせていただきながらいろんなことを教わりました。その次に二次救急の病院と老人病院のケアミックスで2年間事務長をしました。 -
その計4年間は、一歩引いた目線で病院という組織全体の動き、職域を俯瞰するような期間だったのですね。
そうですね。そのときに「どうやったら医療業界は黒字になるのか」ということを考えました。まず人員が余っていないか・足りていないかを考えると同時に「うちは患者さんの入院期間がすごく長いな」と思いました。入院期間も短縮すれば診療報酬も上がるので、一年間かけて平均在院日数を半年以下にしたところ、物凄く収入が上がりました。当時満床だったので、患者さんを引き受けてくれる他の病院も探しました。病床利用率は絶えず102、3%で人員もあり、入院期間も短縮できてすごく成績が良くなりました。
そうすることしか思いつきませんでしたが、「何とかして黒字にしなければ」というポジションに居たからこそ、今の自分があると思います。 -
わかばとの出会い、きっかけについて教えてください。
当社の現会長である杉本が、私が薬局薬剤師として働いていたときに医薬分業のため病院に来たことが始まりです。わかばで医薬分業するときに全面協力しました。加えて働くスタッフもいないということで、当時の薬局スタッフも全員連れて行ってもらいました。
そんな関係から始まり、私が事務長をしているときからずっと誘われていました。いろんな病院や事務長の経験もしてきたので、薬剤師免許を使った仕事をしても良いか! と。よく話も聞いてもらい理解してもらっていたため信頼もありました。それでわかばに入社したのが38歳の頃のことです。 -
入社当初は薬剤師として働いていたのですか?
いえ。人が足りないときは薬剤師もやりましたが、「薬剤師もできる」程度でした。事務長として管理業務をするつもりで入社しましたが、店舗拡大をする人材が誰もおらず、営業が嫌いで病院へ行った身にも関わらず、仕方なく薬局づくりを始めました(苦笑)
当時は医薬分業も後半に入った時期でそれほど良い案件は無かったのですが、60店くらい薬局を作りました。管理業務をやっていたはずが、外に出て現場仕事は全部やっていました。
あまりドクターへのアプローチは無く、いろんなところからお話を頂いたり、在宅医療の薬局を作ったりという感じでした。
あるときは薬剤師、あるときは経営側の人間、あるときは現場の人間……。薬剤師ではない人間が薬剤師に指示をするとうまくいかないこともありますが、一応薬剤師なので、それもあってなんとなくうまくいったという感じです。会長には好きなようにさせてもらいました。病院勤務時代も、売上、労務管理、人事面、日常……あらゆるマネジメントを行っていたので、それが役に立っているのだと思います。 -
対社員へ、こだわりを持ってお話されていることはありますか?
みんなに楽をしてほしい。楽をするために工夫をしてほしいということはよく話します。「楽して仕事をする」と「楽しく仕事をする」は、一文字しか違いませんよね。サボるということではなくて、工夫して楽になってほしいなと思いますね。だから新しいことを考えてほしいし、業務を効率化するために工夫してほしい。楽な仕事をしていたら楽しいに決まっていますよね。「楽と楽しい」のサイクルは自分でも強く意識しています。楽=工夫です。
もう一つ、自分が嫌だと思うことを人にしてほしくない。基本的なことですが相手の立場になって考えて、何かをするときに相手がどう思うか、嫌な思いをしないかを考えながら行動してほしいと思います。
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社長に就任されてから一番嬉しかったことを教えてください。
就任してからというわけではありませんが、当社は在宅医療を約7,000名受けています。当社は営業マンがおらず、こちらから営業をして施設の患者さんを受けたことがないということが自慢です。施設からの依頼を頂いて約7,000人を受けさせていただいています。
当社に任せていただけるのは、日常の仕事を評価していただけているからだと思います。その日常の仕事をやっているのはスタッフ。スタッフ1人ひとりの働きを認めていただけて次の仕事へと繋がることは、とても嬉しいですね。根本は、頂く依頼に対して「嫌だ」と答えることが嫌いで、頼まれたら責任を持って従事しますし、それが次へ、次へと繋がっていっているのだと思います。NOと言わないから評価を貰っているとも思います。現状踏み込んでいない土地であっても、オファーがあればよほどでない限りは引き受けると思います。困っている人には応えるしかないと思っています。
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今後の事業計画として想像していることは?
施設在宅はこれからもっと大きくなる可能性を持っています。
「在宅」というと個人在宅ありきだと思われる方が多いと思うのですが、個人在宅とは違い、施設(老人ホーム)は、医者の診療に同行し、終わった後はケアマネージャーさんたちを含めてカンファレンス、薬を作って持って行く、という流れの中で、ドクターにいろんなことが提案できる環境です。
もう一つ、老人ホームは限界集落に置き換えることができます。そうすると、薬局がインフラになります。インフラ的薬局があれば、風邪とか花粉症とか、医療でなくなった医療を担う薬剤師が必要になりますよね。薬剤師の役割は、医療以外の部分でもっともっと広がる。そう思うと、限界集落に似た老人ホームにインフラ的な立場の薬剤師が行き、いろんなことができるんじゃないかと思います。そういう想いがあるので、外来患者よりは地域をターゲットに薬局を作り、自分たちの力で処方せんを集めることができています。それが原点ですが、そこに最近点数がつくようになりました。
自分たちで売り上げを作っていくという点で言うと、この施設在宅はまだまだチャンスがあると思います。医療機関ありきの店舗展開ではなくて、自分たちで考えながら店舗展開できるチャンスやヒントが、今まで培ってきたこの約7,000名の在宅医療のノウハウとこれまでの薬局の展開・サービスにあると思います。 -
薬局業界の将来を担う学生さんへ。求める人物像は?
私は「薬剤師っておもしろいんだ」ということを伝えているので、それに共感してくれる人。ドクターに提言することもできて、自分からいろんなことを発見・発信できる能動的な人に来ていただきたいです。
なんでもいいからアイデアを発想できるといいですね。それが私の場合の原点は「楽をしたい」ということでしたが(笑)。それができれば、どこへ行っても面白いと思いますよ。